「月が綺麗ですね、と犬に囁く夜」

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漱石の日

1911年(明治44年)のこの日、文部省が作家・夏目漱石に文学博士の学位を授与しようとしたところ、漱石が「自分には肩書きは必要ない」と辞退したことに由来するそうです。

なので本日は、夏目漱石について調べてみたので共有しますね。


夏目漱石(なつめ そうせき)は、日本の近代文学を確立した「国民的作家」です。
千円札の肖像画(1984年〜2004年)としても親しまれていたので、顔を見たことがある方も多いはずです。

異色の経歴:エリート学者から作家へ

漱石は最初から小説家だったわけではありません。実は、当時の超エリートコースを歩んだ「英文学者」でした。

  • 帝国大学(現在の東京大学)を卒業: 英文学を専攻し、後に母校や第一高等学校(一高)で教鞭を執りました。
  • イギリス留学の苦悩: 文部省の命でロンドンへ留学しますが、現地の文化に馴染めず、極度の神経衰弱(今でいうメンタルヘルスの不調)に陥ります。
  • 38歳でのデビュー: 帰国後、気分転換として書いた『吾輩は猫である』が予想外の大ヒットとなり、遅咲きの作家デビューを果たしました。

漱石文学の3つの特徴

漱石の作品は、現代の私たちが読んでも「あるある」と感じるような、鋭い人間観察に基づいています。

「個人主義」と「孤独」

「人間は結局、一人で生き、一人で死ぬものである」という近代的な個人の孤独を深く掘り下げました。

エゴイズム(利己心)の追及

自分の幸せのために他人を犠牲にしてしまう人間の弱さや、それに対する罪悪感をテーマにしました(代表作:『こころ』)。

則天去私(そくてんきょし)

晩年に到達した境地で、「小さな私(エゴ)を捨て、天の理に従って生きる」という考え方です。

これだけは知っておきたい!代表作

時期作品名内容のポイント
初期『吾輩は猫である』猫の視点から人間社会をユーモラスに批判した風刺画。
初期『坊っちゃん』江戸っ子の教師が四国の学校で大暴れする、痛快な物語。
中期『三四郎』九州から上京した青年の淡い恋と成長を描く(前期三部作の一つ)。
後期『こころ』先生の過去の「罪」を通して、人間のエゴイズムを描いた最高傑作。

漱石にまつわる有名なエピソード

  • 「月が綺麗ですね」: 英語教師をしていた際、学生が “I love you” を「我、汝を愛す」と訳したのを見て、「日本人はそんなことは言わない。『月が綺麗ですね』とでも訳しておきなさい」と言ったという伝説があります(真偽のほどは不明ですが、漱石らしい情緒的なエピソードとして有名です)。
  • 博士号の辞退: 冒頭でも触れた通り、国から与えられる「権威(肩書き)」を嫌い、文学博士の学位を断るという、筋の通った性格でした。


実は、漱石の名作『吾輩は猫である』のモデルになった実在の猫は、漱石の家に迷い込んできた野良の黒猫でした。


「名前のない猫」の数奇な運命

この猫は、明治37年(1904年)頃に漱石の家に住み着きました。しかし、最初は漱石の妻・鏡子さんに何度も追い出されていたそうです。

  • 漱石のひとこと: 何度追い出しても戻ってくる猫を見て、漱石が「そんなにいたいなら、いさせてやればいいじゃないか」と言ったことで、ようやく飼われることになりました。
  • 名前は「猫」: 漱石はあえて名前をつけず、家族からも単に「猫」と呼ばれていました。これが後に「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」というあの有名な書き出しに繋がったと言われています。

幸運を呼んだ猫?

この猫が家に来てから、漱石の作家としてのキャリアは一気に花開きました。

  • 近所の占い師に「この猫は福猫だ」と言われたこともあり、鏡子さんは手のひらを返したように可愛がるようになったという、少しユーモラスなエピソードも残っています。
  • 実際、この猫をモデルにした小説が売れに売れ、漱石は一躍スター作家になりました。

明治時代のペット事情

当時の日本では、現代のように「完全室内飼い」や「キャットフード」という概念はほとんどありませんでした。

  • 食事: 漱石の家の猫は、家族と同じように「ご飯に鰹節をかけたもの」や、時には漱石が食べていた「鮭の缶詰」を分けてもらっていたようです。
  • ステータス: 当時はまだ猫に首輪をつける習慣も一般的ではなく、猫はあくまで「家に出入りする同居人」のような、今よりも少し自由でミステリアスな存在でした。

猫の最期と漱石の優しさ

明治41年(1908年)、この猫は亡くなってしまいます。漱石は非常に悲しみ、庭に小さなお墓を立ててあげました。

「猫の死亡通知」 漱石は友人たちにわざわざハガキで「猫が死んだ」という通知を送りました。そこには「これからは命日にタタミ一畳分くらいのお供えをするつもりだ」といった趣旨の、猫への深い愛情を感じさせる言葉が綴られていました。

漱石が与えた影響

漱石は、芥川龍之介などの門下生を多く育て(「木曜会」という集まり)、現代の日本語の書き言葉の基礎を作った一人でもあります。彼がいなければ、今の日本の小説の形は違っていたかもしれません。


おまけ

勇ましい名の「ヘクトー」

猫の死後、漱石の家にやってきたのは大きな茶色の犬でした。漱石はこの犬に、ギリシャ神話の英雄から取って「ヘクトー(ヘクトル)」という非常に立派な名前をつけました。

  • 名前負け(?)な性格: 英雄の名を持ちながら、実際はとてもおとなしく、門の外に出るのを怖がるような臆病な犬だったそうです。
  • 漱石の観察眼: 漱石はそんなヘクトーの様子を面白がり、日記や手紙に「ヘクトーは今日も寝ている」といった様子を書き残しています。

散歩のたびに「逃げ帰る」犬

漱石は時々ヘクトーを連れて散歩に出ようとしましたが、ヘクトーは家の外に出るのが大嫌いでした。

  • 外に連れ出しても、少し目を離すとすぐに家の方へ逃げ帰ってしまう。
  • そんな「ちっとも英雄らしくない」姿を、漱石は呆れつつも、どこか自分自身の内向的な性格と重ね合わせるように、愛着を持って見守っていました。

短編『硝子戸(ガラスど)の中』での回想

漱石の随筆『硝子戸の中』には、ヘクトーが亡くなった時のことが詳しく書かれています。

「ヘクトーは死ぬ時まで行儀が良かった。苦しいはずなのに、声を上げず、静かに横たわっていた……」

漱石は、ヘクトーが亡くなった際にも猫と同じように庭に埋め、「この下に、ヘクトー横たわる」と記した木の札を立てて弔いました。


漱石と動物たちの共通点

漱石のエピソードを見ていると、彼は動物を「ペット」として支配するのではなく、「自分と同じように悩み、孤独を感じる一人の同居人」として扱っていた節があります。

  • 名前のない猫
  • 臆病な英雄ヘクトー

どちらも少し「個性的で、どこか不器用」な生き物たちですが、そんな彼らに寄り添う漱石の姿からは、彼の繊細な優しさが伝わってきます。


こういったエピソードを見ていくと、近所にいるおじさんみたいな感じで親しみがわいてきます。

あなたなら「I love you」を何と訳しますか?

ではよい一日を。

see you soon.

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