昨日お伝えした通り、「高橋是清」という人物にとても興味を持ったので調べてみました。皆さんにも共有したいと思います。
人物像
高橋是清は、日本の近代史において「財政の天才」「日本のケインズ」とも呼ばれる非常に重要な政治家・大蔵大臣です。
ふくよかな体型と、何度失敗しても起き上がる波乱万丈な人生から「ダルマ宰相」という愛称で当時の国民から広く親しまれていました。
ひとことで言うとどんな人?
日露戦争の戦費調達や、昭和恐慌からの経済回復など、日本が国家的な大ピンチに陥った際に、持ち前の語学力と天才的な経済センスで国を救った「昭和の金融の神様」です。
波乱万丈すぎる人生(生い立ち〜出世)
- 壮絶な若い頃 幕府の御用絵師の家に生まれましたが、すぐに仙台藩の武士の家に養子に出されます。14歳でアメリカに留学するも、なんとホームステイ先で騙されて奴隷として売られてしまうという、信じられないような苦労を経験しました。
- 日露戦争での大活躍 帰国後、持ち前の英語力とバイタリティで出世し、日本銀行の副総裁になります。日露戦争の際には、世界中が「小国・日本が勝つわけない」と冷ややかな中、イギリスやアメリカに渡って投資家たちを説得し、奇跡的に莫大な戦費(国債)を集めることに成功しました。彼がいなければ、日本は日露戦争を戦い抜くことはできなかったと言われています。
「日本のケインズ」としての功績
- 世界最速の恐慌脱出 1920年代後半から世界中を襲った「世界大恐慌」と「昭和恐慌」の際、大蔵大臣として思い切った政策(金の輸出再禁止や、積極的な公共事業など)を実行しました。これにより、日本は世界中のどの国よりも早く不景気から脱出することに成功します。これは、後に世界標準となる経済学(ケインズ経済学)を先取りしたような見事な手腕でした。
なぜ二・二六事件で狙われたのか?
- 軍事費の削減と対立 見事に経済を回復させた後、彼はインフレ(物価の異常な上昇)を防ぐために、国の予算を引き締めようとしました。その際、当時どんどん膨張していた軍事予算(陸軍の予算)を大幅に削ろうとしたのです。
- 悲劇の最期 この「軍事費削減」が、軍備を拡大したい陸軍の強い反発を買い、1936年の「二・二六事件」において、青年将校らによって赤坂の自宅で暗殺されてしまいました。享年81歳でした。
高橋是清は、奴隷から総理大臣にまで上り詰めた、まるで映画の主人公のようなダイナミックで魅力的な人物です。どうやって這い上がってきたか見てみましょう。
アメリカでの「奴隷契約」の真実(1867年)
14歳で仙台藩の命を受け、勝海舟の長男らと共にアメリカ(カリフォルニア州オークランド)へ留学した際の出来事です。
- 騙されてサイン: ホームステイ先であったブラウン家で、英語の読み書きがまだ不十分だった是清は、文書の内容をよく理解できないまま「年季奉公(一定期間、労働力として身を拘束される契約)」の書類にサインをしてしまいました。
- 過酷な労働: これにより、彼は事実上の「奴隷」として農弁などの過酷な肉体労働を強いられることになります。
- 帰国への道: 数ヶ月後、現地にいた日本人や事情を知った人々の助けを借りて、なんとか契約を破棄することに成功し、命からがら日本へ帰国しました。この壮絶な経験が、彼の語学力と「どんな逆境にも負けない精神力」を養いました。
日露戦争を裏で勝利に導いた「資金調達」(1904年〜1905年)
日露戦争における日本の最大の課題は「軍事費の不足」でした。当時の日本の国家予算が約2億5000万円だったのに対し、戦争には約20億円という途方もない資金が必要でした。
- 絶望的な状況での渡英: 日本銀行副総裁だった是清は、戦費を調達するために国債(国の借金)を買い取ってもらおうとロンドンとニューヨークへ飛びます。しかし、当時の世界的な評価は「大国ロシア相手に小国日本が勝てるはずがない」というもので、誰も日本の国債を買おうとしませんでした。
- ジェイコブ・シフとの出会い: 苦境の中、ロンドンでの晩餐会でアメリカのユダヤ系銀行家、ジェイコブ・シフと隣の席になります。シフは、ロシア帝国によるユダヤ人迫害(ポグロム)に強い怒りを抱いており、ロシアと戦う日本を支援することを決意しました。
- 奇跡の資金調達: シフの莫大な引き受けと、彼のネットワークを通じてアメリカやイギリスの投資家から次々と資金が集まりました。是清のこの資金調達がなければ、日本は武器や軍艦を買えず、日露戦争を戦い抜くことは物理的に不可能でした。
時代を先取りした「高橋財政」(1931年〜1936年)
1929年の世界大恐慌と、それに続く昭和恐慌により、日本は深刻なデフレと大量失業に見舞われました。1931年、77歳で大蔵大臣(現在の財務大臣)に再登板した彼は、前例のない大規模な経済政策を打ち出します。
- 金本位制からの離脱: 「金(ゴールド)の保有量に合わせてしかお金を発行できない」というルール(金輸出解禁)を即座に停止し、円安に誘導して輸出を急増させました。
- 日銀の国債引き受け: 不足する予算を税金で補うのではなく、日本銀行に国債を直接買い取らせて(お金を新たに刷らせて)、それを公共事業や軍事費に投入しました。これにより雇用が生まれ、経済が劇的に回復します。
- ケインズに先駆けた実績: 政府が積極的に借金をして経済を刺激するこの手法は、後にイギリスの経済学者ケインズが提唱する「マクロ経済学」の理論と全く同じでした。是清はケインズの著書が出る数年前に、実践で日本を世界最速の不況脱出に導いたのです。
なぜ命を狙われたのか(1936年 二・二六事件)
見事な経済回復を成し遂げた後、彼は「これ以上お金を刷り続ければ、今度は悪性のインフレ(物価の異常な高騰)が起きて国民生活が破綻する」と判断し、予算の引き締めにかかります。
- 軍事費削減と陸軍の反発: 予算を削る最大のターゲットが、当時異常に膨張していた「軍事費」でした。是清は「国防は軍備だけでなく、国家の経済力とのバランスが必要だ」と主張し、満州事変などで予算拡大を要求する陸軍の要求を真っ向から拒否しました。
- 暗殺の標的に: この妥協を許さない毅然とした態度が、急進的な軍備拡大を狙う陸軍の青年将校たちの強い恨みを買い、1936年2月26日の未明、赤坂の私邸で就寝中に襲撃され、81歳の生涯を閉じました。
高橋是清の生涯は、現場での実務能力と、世界情勢を的確に読み取る冷静な判断力に裏打ちされていました。次に政策面に焦点をあててみました。
ユダヤ系銀行家ジェイコブ・シフとの出会い(日露戦争の資金調達)
日露戦争(1904年〜1905年)の開戦直後、日本の命運は「いかに早く海外からお金を借りられるか」にかかっていました。
- 絶望的なロンドン市場 高橋是清は、当時の世界の金融の中心地であるロンドンへ向かいました。しかし、大国ロシアに対して「極東の小さな島国が勝てるわけがない」と見なされており、日本の国債(借金の証書)を買おうとする投資家は皆無でした。是清はロンドンで孤立無援の窮地に立たされます。
- 運命の晩餐会 1904年4月、是清はある晩餐会に出席し、そこで隣の席に座ったイギリス人銀行家を通じて、アメリカの巨大金融資本「クーン・ローブ商会」のトップであるジェイコブ・シフと出会います。
- シフの思惑と決断 実はシフは、ロシア帝国に対して強い怒りを抱いていました。当時ロシアでは、「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人への激しい迫害や虐殺が国主導で行われており、ユダヤ系であったシフはロシアを深く憎んでいたのです。シフは「ロシアを倒すために戦う日本」を支援することを決意し、なんと日本が希望していた借入額の半分(500万ポンド)を即座に引き受けると申し出ました。
- ドミノ倒しのような資金流入 ウォール街の大物であるシフが日本の国債を買ったというニュースは、世界の金融界に衝撃を与えました。「あのシフが投資するなら見込みがある」と、イギリスやアメリカの他の投資家たちも次々と日本の国債を買い始めます。結果的に是清は、複数回にわたって総額約1億3000万ポンド(当時の日本の国家予算の数倍)もの資金調達に成功し、日本を勝利(講和)へと導きました。
「高橋財政」の神髄と、現代の経済政策との決定的な違い
1931年、昭和恐慌でどん底にあった日本経済を救うため、是清は世界に先駆けて画期的な経済政策(高橋財政)を実行します。これは現代の「異次元緩和」などと比較されることが多いですが、明確な違いがあります。
- 伝家の宝刀「日銀の国債直接引き受け」 是清が実行した最大の荒業は、「政府が発行した国債を、日本銀行(中央銀行)に直接買い取らせる」という手法でした。これにより、日銀が新しくお札を刷って政府に直接渡し、政府はその潤沢な資金を使って公共事業(農村の救済など)や軍事費に充てました。市場にお金が大量に出回ったことで、日本は世界で最も早く不況から脱出します。
- 現代との違い:現在は「法律で禁止」されている 現代の日本(アベノミクスなど)でも、日銀が大量の国債を買ってお金を市場に供給していますが、これは「直接引き受け」ではありません。一度民間の銀行が買った国債を、日銀が市場(二次市場)から買い上げています。 実は、是清がやった「日銀の直接引き受け」は、現在では財政法第5条によって原則禁止されています。なぜなら、政府が日銀に直接お金を刷らせることを許すと、政治家が際限なくお金を使ってしまい、通貨の価値が暴落して「悪性のインフレ(ハイパーインフレ)」を引き起こす危険性が極めて高いからです。
- 是清の「出口戦略」と悲劇 是清自身も、この「直接引き受け」が劇薬であることを熟知していました。景気が回復してきた1935年頃、彼は「これ以上お金を刷り続ければインフレで国が滅ぶ」と判断し、出口戦略(引き締め)に入ります。 しかし、一度潤沢な予算を味わった軍部(陸軍)は、予算を減らされることに猛反発しました。是清は「財政の健全化」のために軍事費削減を断行しようとし、その結果、二・二六事件で暗殺されてしまったのです。
その後の日本
是清の死後、軍部の予算要求に「NO」と言える大蔵大臣はいなくなりました。日銀の国債引き受けは際限なく続けられ、日本は泥沼の戦争と、凄まじいインフレーションへと転がり落ちていくことになります。
当時の国民の生活
光の時代:都市部の「昭和モダン」
東京や大阪などの大都市では、西洋の文化が急速に広まり、現代の私たちの生活に近いライフスタイルが生まれつつありました。
- モボ・モガの流行 「モダンボーイ(モボ)」「モダンガール(モガ)」と呼ばれる若者たちが街を闊歩していました。男性はラッパズボンに丸眼鏡、女性は髪を短く切った「断髪(ボブカット)」に洋服や帽子を合わせるスタイルが大流行しました。
- デパートと地下鉄 三越や白木屋などの巨大な百貨店(デパート)が立ち並び、週末に家族でデパートの食堂でお子様ランチやカレーライスを食べるのが庶民の憧れでした。東京ではすでに地下鉄(現在の銀座線)も開通しています。
- 娯楽の爆発 街には「カフェー」と呼ばれる飲食店が溢れ、蓄音機からジャズや歌謡曲が流れていました。映画館では音の出る「トーキー映画」が大ヒットし、人々は仕事帰りのエンターテインメントを大いに楽しんでいました。
影の時代:農村部の「どん底の貧困」
一方で、日本の人口の大部分を占めていた農村部(特に東北地方など)は、目を覆うような悲惨な状況にありました。
- 昭和恐慌と大凶作のダブルパンチ 1930年代前半の世界的な大不況に加え、記録的な冷害(大凶作)が農村を直撃しました。お米が全く採れず、農家は自分たちが食べるものすらなくなってしまいました。
- 大根飯と欠食児童 白米は食べられず、ご飯に大量の大根を混ぜてカサ増しした「大根飯」や、ひえ、あわ、ひどい時には木の皮や草の根を食べて飢えをしのいでいました。学校にお弁当を持っていけない「欠食児童」が社会問題になりました。
- 娘の身売り(人身売買) 借金を返すため、そして家族が餓死するのを防ぐために、農家の多くが涙ながらに10代の娘を遊郭(女郎屋)や子守りとして売らざるを得ませんでした。駅で娘と泣きながら別れる親の姿が、日常的に見られたと言われています。
情報の主役:ラジオの普及
この時代、国民の生活を大きく変えたのがラジオです。 1925年に放送が始まり、1930年代には多くの家庭に普及しました。人々は茶の間に集まり、相撲の実況中継や音楽番組、そしてニュースに耳を傾けました。
二・二六事件の際も、反乱軍に対する「兵に告ぐ(兵隊さんよ、今からでも遅くないから部隊へ帰りなさいという天皇からの命令)」という有名な説得放送がラジオを通じて行われ、事件の解決に大きな役割を果たしました。
側面
人には光もあれば闇もあります。反対面も調べてみました。
経済政策の影:「パンドラの箱」を開けた張本人
高橋是清最大の功績とされる「日本銀行への国債の直接引き受け(日銀に直接お金を刷らせて政府が使うこと)」ですが、経済学の視点からは「彼こそが、日本経済を破滅に導くパンドラの箱を開けてしまった」という厳しい批判があります。
- 禁じ手を解禁してしまった責任: 彼自身は「景気が回復したらやめる(出口戦略)」つもりでこの禁じ手を使いましたが、結果的に彼が暗殺された後、軍部はこの便利なシステムを使い倒しました。国家が中央銀行を都合のいい「打ち出の小槌」にしてしまったキッカケを作ったのは、他ならぬ是清です。
- 悪性インフレの種を蒔いた: この仕組みが残ったせいで、戦中・戦後の日本は凄まじいインフレ(物価の暴騰)に見舞われ、国民の財産や貯金は紙切れ同然になってしまいました。
社会の影:格差を広げ、二・二六事件の遠因を作った?
彼の政策で日本経済は世界最速で回復しましたが、恩恵を受けたのは一部の人たちでした。
- 財閥はボロ儲け、農村は苦境のまま: 円安に誘導したことで、三井や三菱などの財閥(大企業)は輸出で莫大な利益を上げました。一方で、農民たちは輸入に頼る肥料の値段が高騰してしまい、生活はさらに苦しくなりました。
- 皮肉な結末: マクロ(国全体)の経済を救った一方で、ミクロ(農村の個々の生活)の貧困はすぐには解決できませんでした。この「大企業ばかりが儲かっている」という強烈な格差に対する怒りが、青年将校たちを二・二六事件へと駆り立てる大きな原因の1つになってしまったという、非常に皮肉な側面があります。
大失敗エピソード:ペルー銀山で詐欺に遭う
「金融の神様」と呼ばれる彼ですが、若い頃に信じられないような大失敗をして、文字通り「無一文」になっています。
- 詐欺師に騙される: 日銀に入る前の30代の時、「ペルーの銀山を開発すれば大儲けできる」というドイツ人詐欺師の儲け話に完全に騙されてしまいました。
- 会社を倒産させ、ホームレス同然に: 現地ペルーまで行って事業を始めましたが、銀など全く出ない廃坑をつかまされていたことが判明。事業は完全に失敗し、出資者の会社を倒産させてしまいました。是清自身も全財産を失い、一時期は住む家もなく、他人の家の二階に居候する「浪人(無職)」状態にまで転落しています。
私生活の影:豪快すぎる「遊び人」の一面
偉大な政治家という堅苦しいイメージとは裏腹に、私生活はかなり破天荒でした。
- 酒と花街を愛した男: 若い頃から大のお酒好きで、花街(芸者さんがいる遊び場)で豪遊することもしばしばでした。「芸者遊びのツケ(借金)を取り立てに来た業者から逃げ回っていた」といった、ちょっとだらしないエピソードも残っているみたいです。
このように、「一度は奴隷になり、詐欺で全財産を失うような脇の甘さ」があった一方で、「何度でも起き上がり、国のピンチを救う(でも後世に禍根も残した)」という、非常に人間臭く、清濁併せ呑むような人物でした。
格差社会、現代でも問題になっていますね。日本では国策がやりやすいような教育政策になっているので、お金の勉強は組み込まれていません。お金のシステムは自ら学ばなければならないのです。其れにつけ込み詐欺まがいのコンサルなども横行してます。必要でない保険の営業なども。
楽してお金を手に入れることを考えるのではなく、まずは自分の収入に合った生活をする、固定費を適切なものに切り替える、裸のマッチョライオンが教えてくれました(笑)
何を信じるかは個人の自由です。
ちゃんと自分で考え自分の人生を見直し、自分のゴールに沿った人生を歩んでいきましょう。
それでは、本日もよい一日を。
see you soon.


コメント