本日は、1972年におきたあさま山荘事件の解決した日という事で、どういった事件だったのかを調べてまとめてみましたので共有したいと思います。
事件の概要と突入までの経緯
連合赤軍(極左暴力集団)のメンバー5人が、長野県軽井沢町にある河合楽器の保養所「あさま山荘」に、管理人の妻を人質にとって立てこもった事件です。 2月19日に発生し、氷点下の厳しい寒さの中で10日間にも及ぶ長い対峙が続きました。警察は家族からの呼びかけなどで説得を試みましたが、犯人側はライフル銃や爆発物で激しく抵抗を続けました。
2月28日:運命の突入作戦
膠着状態を打破し、人質の命を救出するため、警察は2月28日の午前10時から強行突入を開始しました。
- 鉄球作戦: この日の突入で最も有名なのが、クレーン車に吊るした巨大な「鉄球」です。この鉄球を振り子のようにぶつけて山荘の壁を破壊し、警察隊の突入口を作りました。
- 高圧放水と催涙ガス: 破壊した穴から高圧放水を行い、催涙ガス弾を激しく撃ち込んで、犯人たちの視界と抵抗力を奪う作戦がとられました。
- 壮絶な銃撃戦: 犯人側はバリケードを築き、散弾銃やライフル銃などで猛烈に反撃。現場はまるで戦場のような激しい銃撃戦となりました。
結末と犠牲
突入開始から約8時間後、午後6時過ぎに警察隊がついに犯人を制圧しました。
- 人質の救出: 人質の女性は、奇跡的に大きなケガもなく無事救出されました。
- 犯人の逮捕: 立てこもっていた連合赤軍メンバー5人は全員生け捕りで逮捕されました。
- 大きな犠牲: 制圧は成功したものの、この突入作戦の最中に、現場の最前線で指揮をとっていた警察官2名が銃撃を受け殉職しました。事件全体では民間人1名(山荘に近づいた一般市民)も犠牲となっており、さらに多数の警察官が重軽傷を負う痛ましい結果となりました。
社会に与えた影響
- 驚異的な視聴率: この日の突入作戦の様子は、NHKや民放各局で一日中生中継されました。日本中がテレビの前に釘付けになり、夕方の犯人連行時のピーク時には、各局を合わせた総世帯視聴率が89.7%という、現在でも破られていない驚異的な数字を記録しました。
- カップヌードルが全国区へ: 極寒の現場では配給された弁当が凍ってしまい食べられなかったため、警察官たちに発売されたばかりの「カップヌードル」が配られました。機動隊員が湯気を立てながら食べる姿がテレビで繰り返し放送された結果、カップヌードルが爆発的に普及したという有名なエピソードも残っています。
時代背景
学生運動と過激化の波
1960年代後半から1970年代初頭の日本は、高度経済成長の影で、社会に対する不満や変革を求めるエネルギーが渦巻いていた時代でした。
- 世界的な反体制運動 ベトナム戦争への反戦運動やアメリカの公民権運動など、世界中で若者を中心とした反体制・反権力のムーブメントが起きていました。
- 安保闘争と全共闘 日本でも、日米安全保障条約の改定に反対する「安保闘争」や、大学の学費値上げ・学校運営に反発する学生運動(全共闘など)が激化しました。多くの学生がヘルメットを被り、ゲバルト棒(角材)を持って機動隊と激しく衝突しました。
- 運動の挫折と過激化 しかし、1970年に安保条約が自動延長されると、大規模な大衆運動は徐々に熱を失い、一般市民も学生たちの過激な行動から離れていきました。それに焦りを感じた一部の急進派は、「平和的なデモでは世の中は変わらない」と考え、より暴力的な「武装闘争」へと舵を切っていきます。
連合赤軍とは何か
「連合赤軍」は、そうした過激派の中でも特に先鋭化した2つの組織が、1971年に合流して誕生した極左暴力集団です。
- 構成された2つのグループ 資金力はあるが武器が乏しかった「赤軍派」と、銃器などの武器は強奪していたが資金がなかった「京浜安保共闘(革命左派)」という、本来は思想の異なる2つの組織が、警察の厳しい追及から逃れるために野合して作られました。
- 目的と手段 彼らの目的は、日本政府を武力で倒し、共産主義革命を起こすことでした。そのために、銀行強盗で資金を集め、銃砲店を襲撃して武器・弾薬を奪い、山中で軍事訓練を行っていました。
凄惨な「山岳ベース事件」
あさま山荘事件の背景を語る上で絶対に外せないのが、事件直前に山中で起きていた「山岳ベース事件」と呼ばれる内部粛清です。
- 山中での潜伏と「総括」 警察の包囲網が狭まる中、彼らは群馬県の山奥に秘密の山小屋(山岳ベース)を作り、共同生活を始めました。そこで指導者たちは、真の革命戦士になるための精神鍛錬として、メンバーに「総括(そうかつ)」という名の自己批判を強要しました。
- エスカレートするリンチ 「総括」は次第に異常性を帯び、「態度が悪い」「化粧をしている」といった些細な理由で、仲間同士を縛り上げ、殴る蹴るの凄惨なリンチへと発展しました。極寒の山中で食事も与えられず暴行を受け続けた結果、わずか数ヶ月の間に、29名いたメンバーのうち12名が死亡するという恐ろしい事態に陥りました。
そして「あさま山荘」へ
警察がこの山岳ベースを発見し、追いつめられた少数の生き残りのメンバーが逃亡する中で、偶然逃げ込んだのが「あさま山荘」でした。
あさま山荘事件の犯人逮捕後、警察の取り調べによってこの「山岳ベース事件」の凄惨なリンチ殺人が明るみに出ました。「理想の社会」を掲げながら、閉鎖空間で仲間同士で殺し合っていたという事実は日本社会に決定的なショックを与え、これ以降、日本における過激な左翼運動は完全に支持を失い、急速に衰退していくことになります。
彼らの多くは、もともとは「世の中を良くしたい」という純粋な正義感を持つ、真面目で優秀な学生たちでした。それが凄惨な事件に行き着いてしまった背景には、当時の社会状況と、閉鎖的な集団心理の暴走があったようです。
純粋な正義感と「世界への絶望」
当時の若者たちは、第二次世界大戦後の民主主義教育を受けて育った最初の世代でした。しかし、現実の社会を見ると、ベトナム戦争でアメリカが非人道的な兵器を使い、日本政府はそれに協力(基地の提供など)していました。 また、国内では高度経済成長の影で公害問題や労働問題が噴出。「大人が作った今の社会システムや資本主義は間違っている」という強烈な義憤(正しい怒り)が、彼らの運動の出発点でした。「このままでは世界はダメになる、自分たちが実力で変えなければ」という、ある種の使命感に駆られていたのです。
社会からの孤立と「エコーチェンバー現象」
初期の学生運動には多くの一般学生や市民の支持がありましたが、運動が過激化し、機動隊との衝突で火炎瓶や投石が日常化すると、世間の人々は彼らから離れていきました。 社会から孤立し、警察の厳しい取り締まりから逃れるため、彼らは地下に潜伏し、狭い仲間内だけで行動するようになります。閉鎖的な空間で同じ思想を持つ者同士だけが対話すると、意見が極端な方向へとエスカレートしていく「エコーチェンバー現象(集団極性化)」が起きました。「外の世界はすべて敵だ」という思い込みが強化されてしまったのです。
妥協を許さない「純化」のプレッシャー
極限の地下活動の中で、彼らは自分たちの思想の「純粋さ」を何よりも重んじるようになりました。 「革命戦士として完璧でなければならない」という強迫観念から、少しでも弱音を吐いたり、普通の若者らしい振る舞い(恋人を思い出す、温かいものを飲みたがるなど)をしたりするだけで、「革命への意識が低い」と見なされました。 仲間内で自分がいかに過激で真剣であるかを証明し続けなければならず、それが山岳ベースでの「総括(という名のリンチ)」へと繋がっていきました。誰も「それはやりすぎだ」と止めることができない、狂気の空間ができあがってしまったのです。
引き返せない状況(サンクコスト)
彼らの多くは、大学を中退したり、家族と縁を切ったりして運動に身を投じていました。さらに、資金集めのために強盗事件などを起こし、すでに重罪を犯して指名手配されているメンバーも多数いました。 つまり、彼らにはもう「普通の社会に戻る」という選択肢が残されていなかったのです。「これだけの犠牲を払い、罪を犯したのだから、絶対に革命を成功させなければならない」という後戻りできない心理(サンクコストの呪縛)が、彼らをさらに極端な行動へと駆り立てました。
「世界を良くしたい」という理想が、閉鎖空間での同調圧力と焦りによって、最も残酷な暴力へと反転してしまったのが、連合赤軍事件の最大の悲劇と言えます。
このような集団心理の暴走は、規模や形は違えど、現代のSNSのコミュニティやカルト集団などでも起こり得る普遍的な恐ろしさを持っています。
現代のSNSの問題は、画面に向かって行われているので画面の向こうには人がいるという認識がない事によるものが多いと感じます。時に言論が人の心に訴える力は武力よりも強く場合によっては命をも奪ってしまうことになります。
対人間を意識するだけでも言動は変わっていくと思います。さらに、相手が自分の大切な人が言っていると思って対応するともっと優しい言い方や対応が出来ると思います。
優しい世界で生きたいのであれば、まずは自分からです。
周りに惑わされることなく、自分の信念に基づいて楽しい人生を歩んでいきましょう。
ではよい一日を。
see you soon.

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