1867年3月30日、アメリカ国務長官ウィリアム・スワード(William Seward)はロシア帝国との間に歴史的な条約に署名した。代償は720万ドル——当時の批判家たちは「スワードの愚行(Seward’s Folly)」と嘲笑したが、それは20世紀最大の資源の宝庫を手にするための、信じられないほど安い賭けだった。
なぜロシアは売ったのか
ロシア帝国にとって、アラスカは遠くて維持が難しい植民地だった。1853〜56年のクリミア戦争でイギリスに敗れたロシアは財政難に苦しみ、アラスカがいつイギリス(当時カナダを支配)に奪われるかわからないという不安も抱えていた。
ロシアはアメリカとの友好関係を重視しており、この土地を宿敵イギリスに奪われるくらいなら、アメリカに売る方がはるかに賢明と判断した。交渉はロシア側から積極的に持ちかけたという記録も残っている。
「我々は今夜、条約を締結した。これはアメリカ大陸から王政の最後の痕跡を取り除く一歩だ」— ウィリアム・スワード、1867年3月30日深夜
「愚行」と笑われた購入の内幕
スワードは就任当初からアラスカ購入を強く推進していた。しかしアメリカ国内の反応は冷淡だった。新聞は「スワードの冷蔵庫(Seward’s Icebox)」「ウォルラスの土地」と揶揄し、議会でも批准は難航した。720万ドルは当時のアメリカ連邦政府の歳入の約1割にあたる大金だったのだ。
1867年3月30日 スワードとロシア公使エドゥアルト・ストゥコルが深夜に条約署名。談判はわずか数時間だったとされる。
1867年4月9日 アメリカ上院が条約を37対2で批准。反対はわずか2票だったが、世論は依然として懐疑的だった。
1867年10月18日 シトカ(現アラスカ州の旧首都)でアメリカへの正式移管式典。ロシア国旗が降ろされ、星条旗が掲げられた。
1898年〜 クロンダイク・ゴールドラッシュ勃発。アラスカ・ユーコン地域で大量の金が発見され、「愚行」という評価が一変し始める。
1959年1月3日 アラスカがアメリカ合衆国49番目の州に昇格。購入から約92年後のことだった。
「愚行」が証明した先見の明
20世紀に入ると、アラスカの真価が次々と明らかになった。金、銅、銀などの鉱物資源。プルドーベイで発見された巨大な石油・天然ガス埋蔵量。豊富な漁業資源。そして冷戦時代には戦略的な軍事拠点として計り知れない価値を持った。
アラスカ州の石油収入だけで、購入価格の何千倍もの富がアメリカにもたらされている。1エーカー2セントという価格は、歴史上最も費用対効果の高い土地取引のひとつとして現在も語り継がれている。
スワードが「愚か者」と笑われた購入は、アメリカを太平洋の覇権国家へと押し上げた布石だった。



何が言いたかったかというと、人から何と言われようが自分の信念を持っていれば好転することもあるという事。たとえ、好転しなかったとしても次に繋がる何かは得ていると思う。
決定の際、自分の意思が入っていないとどう転んでも自分の決定ではない為、喜びも学びも少なくなる。
おじーは、やっぱり自分で選んだ道を進みたい。周りに何を言われようが、自分の人生なのだから。悔いのないように生きましょう!
では、よい一日を。
see you soon.

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